女性が憧れる歳のとりかた

オトナカッコいい とか オトナの為の とか オトナ の何とか をよく目にします
私自身が 反応する年頃なのかも知れません
と、いっても 世間一般では オバちゃんといわれても おかしくない アラフォー世代なのですが

「かわいい」という言葉


そういえば 何時頃から “”かわいい “”という何にでもつかえて便利だった言葉から
“オトナぽい”という言葉に気持ちが乗り替わったのでしょうか

何でもかんでも あたまに “かわいい ”をつけていた頃もありました
“かわいい ”は とても 便利な 言葉でした

ヘンテコでも “かわいい” と言えば 何となく きれいにまとまる様な感じがして
“それカワイイ” “あれカワイイ”
何かにつけて “カワイイ”をつけていると
使う方も 言われる方も 褒められてる様で安心する “便利なコトバ”
ブサかわいい とか 逆にかわいい とか
“カワイイ”に反応して “カワイイ”を乱用している当時の私は
言ってる方も 適当に満足していました

カワイイを乱用していた その頃は 憧れるという意識より 自分がどう見られるか
の方が興味があったのかもしれません

この服が可愛い この靴が可愛い この髪型が可愛い このネイルが可愛い

この服を着ているから可愛い この靴を履いてるから可愛い この髪型だから可愛い
このネイルをしているから可愛い

同世代の ファッションが気になり 流行りのモノが欲しくて その為に 沢山バイトをして
流行りの新しいモノを 持ってる 流行りのカワイイわたし を
友達に自慢する
友達も当たり前の様に 流行りのカワイイ に カワイイと言ってくれる
それが あたりまえで 疑問を持つ事もなかった

“女のコと オトナの女性 の違い” について

目にした記事の中に

  • 自分をわかって欲しい のは “女の子 ” に対して
  • 相手をわかってあげる が “オトナの女性”
  • 一人で生きていけない のが“女の子”に対して
  • 自立しているのが “オトナの女性 ”

と いうものがありました
まさに 自分がどう見られているかの方が興味がある
この服を着ているから可愛い この靴を履いてるから可愛い この髪型だから可愛い
このネイルをしているから可愛い
“カワイイ”を身に纏い “カワイイ”を乱用している私は まさに“女のコ”でした

40歳に近ずいてどんな風に歳をとりたのか考えみる

“女のコ”だった頃は
いくつ?と聞かれる度に 胸を張って年齢を応えていた 自分が 今思うと可笑しい
です

育児休暇もそろそろ 終わり
頭を仕事モードにしようと ファッション誌を眺めていると
自分の 心トキメクものが
変化してることに気がつきました

カワイイと言わる
カラフルで華やかなモノよりも
シンプルで 自然で ムダがないものに 心ときめいていて

今の私が 目に止まったワード


“歳を取ってからの方がたのしいです。”
“自分を断捨離したらラクになりました。”

という言葉がすごくかっこいい!と 目に とまりました
こんな風に清々しく生きたいと思いました

ファッション誌から必要とする物は
カワイイと言われる 流行りのモノの情報よりも
“歳を取ってからの方がたのしいです。”
“自分を断捨離したらラクになりました。” という

ありのままの自分を 整理して ムダのない 生き方をしている姿

ありのままの自分で生きてる姿が 自然体でカッコイイ と思えた
かわいいに反応していた頃の女のコだったわたしが 居なくなっていて
自然体でシンプルに楽しんでいる姿がカッコイイと

自分の好きな事 嫌いな事 がだんだんハッキリ見えてきて このままでいいのかと
子育ても含め 人と比べ 自分に問う 30代の今
40歳が近ずいて
想像していた40歳とは程遠く
どんな風に歳をとりたのか考えみる と

自分に必要なモノを 必死になってかき集めている 今のわたしは

余分な物を手放して あるがままを楽しんでいる 女性の姿に 惹かれたのかもしれません

シンプルでカッコイイ
柔らかくて芯のある
温かくて 強い そんな風になりたい

そう考えていると いつも浮かぶのが 母親の顔


私の母親は 朝から晩まで 長い時間 父と仕事を共にしています
寝る間がないほど忙しかった為 子どもの事は後回しになる事が多かった
朝ごはんを食べれない状態で 学校へ行く事も多かった
朝ごはんを食べてない事も なんだか恥ずかしくて 人には言えなかった

学校から帰って 友達の家では おやつがキチンと用意してある事が 羨ましいかった事を覚えています
そんな記憶が まだしっかり こびり付いていて

子どもの頃から私は 母親に不満いっぱいで
大人になった今でも ついつい 小言を言ってしまいます

オトナになった今だから もっと鮮明に見える
母の行動パターン

母親に わたしがついつい 言ってしまう
わたしが思う欠点とは

例えば、食事をしてから デザートという順番を守れない、とゆうか 待てない。
デザートに気持ちがシフトしてしまうと
ご飯を食べたフリをしてしまう。
デザート欲しさに。

疲れ過ぎて、お風呂に入る体力がない日
お風呂は 明日にするからみんなお先にドウゾ 。
と、言えない。

お風呂ドウゾ。と声をかけられて も
はっきりと返事ができないで

時間を置いたり順番を変えたりしながら、また別の人が お風呂ドウゾ。と声をかけると
また はっきりと返事をしない
そんなのを何度か繰り返しながら
最後の順番になった時に
昨日頭洗ったから、、、と変な言い訳をする。

はじめから お風呂は 明日にするからみんなドウゾ と、言えば 済む話なのに

ムダなやり取りを何度も往復する

子どもの様な母 もっと素直になればいいと思う。
食べたいなら、食べたいと。眠たいなら、眠たいと。
辛抱して、自分を後回しにしてきたクセなのか
子どもを育てて来た 母親としてのクセなのか

誰でも、やらないとな~
やりたくないな~と
いう気持ちの往復で 成り立っていて

その やらないとな~ やりたくないな~の気持ちの往復にただ素直に従っているだけなのかもしれない と 思ってみると

、、、見方をかたえれば、もしかすると、誰よりも素直なのかもしれない

誰よりも自分に素直なだけなのかもしれない

ドウゾ。ドウゾ。と 何度もやり取りをさせてしまう事で
周りにムダな気遣いをさせているのが
どうして わからないの?とか
どうして 周りに合わせられないの?とか
母の行動に 小言を言ってしまう わたし

配慮がナイ!!と 私は勝手にイライラしてします

ですが

見方を変えれば

それすら 自分に素直である証拠かもしれません
やらないといけないな~も
やりたくないな~も
自分の正直な気持ち

そう言いながら 子どもの様な 母の事を話す私自身んが
素直でありたい ありのままの姿で

言っているのだから

そこに むかっているのかもしれないと、はっとする。

こうあるべき という 私の勝手な思い込みが 何より一番 余計なモノなのかも知れません

子どもが授かって毎日を過ごしている今


子どもが授かって 賑やかで楽しい毎日を過ごしている 今は
ひとりの時には感じなかった
不便さがそこら中に転がっていて ムリにカッコつけようとしていた自分がいつの間にか
居なくなっていて
よりシンプルに生活したいそう感じています

“こうあるべき” “こうすべき”に 私自身もが苦しんだり
“こうあるべき” “こうすべき”に家族を振り回している事もあったり

そんな自分と理想の自分は 遠いのか 近いのか 考えてみたり

そんな事を沢山繰り返し 経験する事で
だんだん 余計なモノが削り落とされていくのかもしれませんね

シンプルで自然体で
柔らかくて芯のある
温かくて 強い そんな歳の重ね方をしたいなと今は思います

母親の様になりたい そんな 風にはまだ思えないけど
娘には 言われてみたい
と 自分のことを棚に上げてカッコつけている私
そんなまだまだ角張っている30代の私は
憧れる歳の取り方も まだまだ
方向性がぐらぐらして定まっていません
沢山経験しないと 角は丸くならないのかもしれません
まだまだ荒削りな “半人前のお母さん ”ですが
そんな自分も 素直に楽しむ 余裕をたまにはもってみようと 思います

結果

難しく考えないで 毎日を楽しむ自由な母を今はお手本に
素直に 柔らかく
温かくて 強い そんな女性に なれる様に
シンプルで自然体で
柔らかくて芯のある カッコいい 人に
いつかなれるように

日々を自分らしく楽しみながら

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